コロナになった頃、座禅に興味があって近所のお寺を探してたんです。ホームページで見付けた5~6件に片っ端から電話したんだけれども全部、今やってませんだったんです。その時にたまたま雅さんのオンライン瞑想の無料体験会を見つけて、じゃあ1回やってみようかなと思ってやりだしたのが最初です。瞑想と座禅は似通ってるところがあるんかなぁと思ってたんで割とスっと入れました。
ここ1~2年で自分が何かから逃げてるっていうのは感じてたんですね。例えば何かをするといっても絶対しないんですよ。行動する為にはゴールを決めてそれをするためには何をこうしてっていう計画を立てたりとかっていう部分を考えていったら多分できるんだけども、それをやらなかった。あるいはやれなかったって言う感じで、それは自分が気がついてない何かから逃げてるだろうなっていう感じがしていて、その自分が逃げている部分を知りたいなぁっていうのが悩みだったかなぁって気がします。
1番に感じたのは何もこだわらなくなったと言うことです。前だったら小さい些細なことでもこだわったりとか、人間関係でもなんで?って思った時もあったけど、そういうのが一切なくなってしまって、人を認められる。そういう考え方なんだ。そういう人なんだって認められるようになったら、全然そうゆう気になることがなくなってきたのと、最近は何事も結局は答えは自分でしかないなぁって言うのが非常にあって。前は答えを教えて欲しいって言う感じで、そういう姿勢だったんだけども、今はそれがなくなって自分が答え出すしかないって思ってます。答えを持っているんだけれども、それに気がついてないだけでそれが気がついていくようになるって言う感じですね。
中級講座までは概念ていうのをあまり考えてなかったんだけれども、反対に瞑想には概念が非常に必要だなって言う風に考え始めました。瞑想の20分間と概念の両方が結びつかないと、ちゃんとした瞑想ができないんだろうなーっていう気持ちが強くなりましたね。 それと概念を知るまでは純粋意識なんて全然知らなくて、今は他のを見ても潜在意識を深く感じとるって言う教え方をしているところがあったんだけれども、その潜在意識を深く感じ取る教えと私たちが学んでいる純粋意識はまたちょっと違うんじゃないかなって気がしてきていて、だからその辺の純粋意識っていうのが非常に大切だなって言うのを感じていますね。
マントラを受け取るまでは共通のものでやってたんだけどでも、マントラを受け取ってからは自分のもんだって言う気持ちになって、だから瞑想する時も自分がやるんだって言う感じになったので、その辺はちょっと変わったなぁって言うのは感じています。
私は最初からインストラクターになるつもりはなくて、自分が瞑想をマスターできたらいいって言う感じだったんですね。だけどうちのグループは熱心な人が多すぎて、インストラクターになるのが当たり前だって言う感じだったので、皆さんに引っ張ってもらったというか、引っ張り続けてもらってインストラクターになったかなぁって言う感じです。 どうせやるならインストラクターになろうかなって言う感じで最後まで受けていたんですけども、実際に卒業だと言うことでインストラクターになってみたら、反対に自分がまだまだできてないと言う気持ちの方が多くなって、分かっていないことがわかってきたって言うそれの方のプレッシャーが多くて、その状態ではまだ人にはしゃべれないなぁって言う、そっちが強くなってるのが今の感じです。やっぱりまだ自分で教えるって言う立場にはまだ怖いというか、説明ができないのが分かりすぎているのでそこで止まってます。
凛の金っていうのは大きいなぁって言う感じです。今までは体とか宇宙とかっていう意識がなかったけれども、凛の金を学んでからは宇宙っていうのすごく意識しだして宇宙っていう感覚に変わってきた。どっちかと言うと地球に居るにしても宇宙の中の地球って感覚の見方に変わってきたなぁって思います。
自分が瞑想を体験してみて、体感っていうのこんなもんかなっていうのが分かったので、まずは体験したことがない人に瞑想の体感をちょっとでも感じてもらいたいなぁって思います。 体感っていうものが感じられたら続けたいなぁっていう風に思うんじゃないかなって思いました。